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ヒンデローペン(Hindeloopen)は、オランダ北部のアイセル湖に面した漁師の町の名前。静かな運河、家々の朱色の屋根、はね橋、教会などが形作る、まるで童話の世界の様な佇まいに魅了される素敵な所です。

この町で産出されている伝統工芸品ヒンデローペンは、木製の家具や小物に、赤・紺・緑などの地色に、花や鳥、カーリングを描くスタイルが特徴です。

ヒンデローペンの誕生

ヒンデローペンの歴史は、17世紀の終わり頃、もともと家具に施されていた手彫りから木彫り彫刻の彩色として始まりました。

18世紀に入ると、光と影で表現する技法ができ、また貿易によって諸外国の影響も受け、種々の鳥や動物、人物などを描いた「ヒンデローペン」が完成し、描かれた家具は諸外国へと輸出されるまでになりました。

衰退と復活

しかし、18世紀末から19世紀の初めまで、戦争によってフランスに占領されてしまったため、ヒンデローペンは一時衰退してしまいます。

1888年、パリで行われた絵付け家具の展示会に出品、再び脚光を浴び、ヒンデローペンが見直され、復活しました。

19世紀後半、アンドレ・ローシェはスタジオを開き、彫り模様を基本とした図案で絵付けを行いました。この基本的な描き方を「ローシェスタイル」と呼びます。

また、当時ローシェのスタジオで働いていたジェラード・ハッティンガは、ローシェスタイルで描いていましたが、後に18世紀の絵付けを研究、これまでにはなかった明るい色使いや不均衡な構成で新たに花、葉、鳥を華やかに描き、「ハッティンガスタイル」を確立しました。

現代のヒンデローペン

今日では、5代目ローシェがローシェスタイルを継承し、そこで勉強したガウケ・ブーツマもローシェスタイルを、日本で人気のあるマイネ・フィッサーやヘルマン・グラスハウアー、先ごろ引退したズウェードはハッティンガスタイルを描いています。

ケ・ブーツマもローシェスタイルを、日本で人気のあるマイネ・フィッサーやヘルマン・グラスハウアー、先ごろ引退したズウェードはハッティンガスタイルを描いています。

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